F1観戦記、日曜決勝日
いよいよ決勝日、いつもはドライバーズパレードが始まる頃に、やっと観戦席に行くのですが、今年は17年ぶりに娘が来てお婿さんがポルシェカップレースを観たいということで、かなり早く観戦席に座りました(写真はありません)
レジェンドF1マシンの走行は興味あったので、写真撮りました

1989年のマクラーレン・ホンダMP4/5です、有名なセナとプロストが鈴鹿のシケインで絡んだ年のですね。
カーナンバーが2なのでプロストのマシンです(汗)
ドライブするのは、来年マクラーレン・ホンダでバトンに代わって正ドライバーとなる、ストフェル・バンドーンです、いい音してました。
このマシンはフェラーリF187、鈴鹿で初めてF1が開催された1987年に鈴鹿で優勝したマシンです

エンジンはV6、1500ccですが、予選では1000馬力くらい出たといわれています。
いよいよ決勝まであと少し、鈴鹿名物の赤い跳ね馬武士団がいつもの場所にいます

ここまでやられる根性に脱帽です
観戦席は毎度同じのQ2席です、キャノンのブレ防止双眼鏡(13倍)だと、1コーナーから3コーナーまでバッチリ見えます

そしてダンロップからデグナーの入口まで見えるはずが、今年はピレリーの幕が邪魔

130Rからシケインそして最終コーナーまで見えるので、一周で二度おいしい席です
そうそう、今回スカパーの実況放送のスタート前とゴール後のシーンに我々が写っていました(汗)
決勝も終わり、期待のマクラーレン・ホンダは良いところ無し、ホンダの社長も来てたのに、さぞがっかりしたことでしょう。
ゴールしたら娘夫妻は月曜祝日はゆっくりしたいので、今日中に東京へ帰るとのこと、正面ゲートでお別れしました。
娘の17年ぶりのF1観戦の印象は、「昔に比べるととても寂しい、お店も少ないし、マシンなどの展示も無い、タバコも配ってないし」
娘が来た1999年はハッキネンとシューマッハがチャンピオン争いをしていて、それに鈴鹿が最終戦でそこで決着が付くレースだった。
ドイツとフィンランドから大応援団が来ていてとても盛り上がっていた頃に比べれば、今年は確かに寂しかった。
それに当時はホテルエリアにも入れて礼儀正しいマニアしか知らないポイントでドライバーを待ち伏せてサインも貰えて、今では考えられない時代でした。
決勝の翌日は家内と二人で後片付け

帰りは家内の車にも積めるので、積み込みは楽です
片付けながら、機材のチェックです

このチェアーは15年ほど使いました、脚の底部のフランジがありませんが、まだ使えます
これは、重量級の誰かが、腕を背もたれの布地に掛けて、もたれ掛かったのでしょう、もう少しでパイプが出てきます

ホスピタリテイーテント(笑)は頂点が分かるように畳みます、これで来年も一人で建てられる

照明や充電のために沢山つかう延長コードも、仕事仕様でしっかり整理

毎年お世話になる隣近所のキャンプサイトの方々も慣れたものです

小一時間で撤収完了、それからはお楽しみのレストランで朝食です

あいかわらず、元の取れないヘルシーな食事です
と、今年は体調がイマイチで、写真が殆どありません、来年はプレッシャーのかかる仕事が減るので、頑張って体調整えて、読み応への有るレポにしたいと思います。
レジェンドF1マシンの走行は興味あったので、写真撮りました

1989年のマクラーレン・ホンダMP4/5です、有名なセナとプロストが鈴鹿のシケインで絡んだ年のですね。
カーナンバーが2なのでプロストのマシンです(汗)
ドライブするのは、来年マクラーレン・ホンダでバトンに代わって正ドライバーとなる、ストフェル・バンドーンです、いい音してました。
このマシンはフェラーリF187、鈴鹿で初めてF1が開催された1987年に鈴鹿で優勝したマシンです

エンジンはV6、1500ccですが、予選では1000馬力くらい出たといわれています。
いよいよ決勝まであと少し、鈴鹿名物の赤い跳ね馬武士団がいつもの場所にいます

ここまでやられる根性に脱帽です
観戦席は毎度同じのQ2席です、キャノンのブレ防止双眼鏡(13倍)だと、1コーナーから3コーナーまでバッチリ見えます

そしてダンロップからデグナーの入口まで見えるはずが、今年はピレリーの幕が邪魔

130Rからシケインそして最終コーナーまで見えるので、一周で二度おいしい席です
そうそう、今回スカパーの実況放送のスタート前とゴール後のシーンに我々が写っていました(汗)
決勝も終わり、期待のマクラーレン・ホンダは良いところ無し、ホンダの社長も来てたのに、さぞがっかりしたことでしょう。
ゴールしたら娘夫妻は月曜祝日はゆっくりしたいので、今日中に東京へ帰るとのこと、正面ゲートでお別れしました。
娘の17年ぶりのF1観戦の印象は、「昔に比べるととても寂しい、お店も少ないし、マシンなどの展示も無い、タバコも配ってないし」
娘が来た1999年はハッキネンとシューマッハがチャンピオン争いをしていて、それに鈴鹿が最終戦でそこで決着が付くレースだった。
ドイツとフィンランドから大応援団が来ていてとても盛り上がっていた頃に比べれば、今年は確かに寂しかった。
それに当時はホテルエリアにも入れて礼儀正しいマニアしか知らないポイントでドライバーを待ち伏せてサインも貰えて、今では考えられない時代でした。
決勝の翌日は家内と二人で後片付け

帰りは家内の車にも積めるので、積み込みは楽です
片付けながら、機材のチェックです

このチェアーは15年ほど使いました、脚の底部のフランジがありませんが、まだ使えます
これは、重量級の誰かが、腕を背もたれの布地に掛けて、もたれ掛かったのでしょう、もう少しでパイプが出てきます

ホスピタリテイーテント(笑)は頂点が分かるように畳みます、これで来年も一人で建てられる

照明や充電のために沢山つかう延長コードも、仕事仕様でしっかり整理

毎年お世話になる隣近所のキャンプサイトの方々も慣れたものです

小一時間で撤収完了、それからはお楽しみのレストランで朝食です

あいかわらず、元の取れないヘルシーな食事です
と、今年は体調がイマイチで、写真が殆どありません、来年はプレッシャーのかかる仕事が減るので、頑張って体調整えて、読み応への有るレポにしたいと思います。